国際交流ワークショップB

日本2日目(墨田区)

Past, Present and Future of Sumida Ward

災害大国である日本の「防災」について、木造密集住宅市街地(木密)が多く存在する墨田区を対象に紹介を行った。巨大な防火壁として作られた白鬚防災拠点、戦災を免れた建築歴の長い住居が集まる京島地区という対象的な2つの地区を見学した後、危険性を指摘されながら改善が難しい木密地域のジレンマをふまえつつ、今後の木密地域の進むべき方向性についての議論を行った。

墨田区都市計画マスタープラン

全体構想

 区では、広域総合拠点、広域拠点、生活拠点、文化・スポーツ拠点を中心とした都市構造の具現化を提唱している。広域総合拠点は主要施設や駅に分布しており、広域総合拠点と広域拠点は拠点連携軸で結ばれているほか、水と緑の基本軸が区全体に張り巡らされている。商業、生活、歴史文化、スポーツ等の機能の集積を誘導し、都市の活力や賑わいを高めていくことを目標としている。

 また、都市基盤の道路を体系的に整備するための方針として、幹線道路を1km間隔、地区幹線道路を500m間隔で設置し、250m間隔で主要生活道路を配置するよう定めてきた。これに関しては、区全体でほぼ完成している。一方、密集市街地においては、災害時の消防活動等を行う緊急自動車が通行可能な主要生活道路(幅員612m)及び生活道路(幅員4m)の整備が不完全であるため、今後の課題となっている。

分野別構想

 区では、「燃えない・壊れないまちづくり」を目指した①減災対策、非常時における安全性を確保するための②災害時対策、震災復興を推進するための③復興対策という3つの柱を設け、地区特性に応じた総合的な取り組みを推進している。

 現在の課題としては、『区内建物の不燃化・耐震化』、特に『木造住宅密集地域における防災性の向上』が緊急の課題であり、被災後の応急対策、復興対策を含めた総合的な対策が求められている。その取り組みとしては、建物の不燃化、耐震化の促進と密集市街地の安全性の向上が進んでいる


【建物の不燃化・耐震化の促進】

幹線道路における木造建物の不燃化、延焼遮断帯の整備などを推進している。また耐震診断や性能評価を重視した修復・改善も促進している。

【密集市街地の安全性の向上】

重点整備地域に指定されている鐘ヶ淵・京島・東向島を中心に広がる木造住宅密集地域では、都市基盤の整備状況や土地利用、敷地規模や土地・建物の所有関係、建替え意欲など市街地の安全性向上を妨げる多くの課題を抱えているため、個別の建替え支援や各種規制・誘導手法、面的整備事業に加えて、住宅・福祉・産業・環境施策等の重層的な取組を推進している

白髭防災拠点

 白鬚東地区は、墨田区の最北端に位置する。東側に密集市街地が立地していること、西側に隅田川と高速道路が存在し堤防の決壊や高架の倒壊の危険性があること、地区形状が南北に細長いことにより避難スペースの確保が困難である等の防災上の課題に対する解決策として、江東再開発基本構想(昭和44(1969))で示された6地区の中で最も早く建設が着工された。施行面積は約27.6ha、施工期間は昭和49-60(1974-1982)年、居住人口は約6,500人、住宅戸数は約1,600戸である。

 防災機能としては、軒高41mの住宅棟が南北約1.5km連なっており、各住宅棟の結合部分には防火シャッターおよびスプリンクラーが設けられている。また住宅棟より西側には、住宅棟と墨田川に挟まれる形で東白鬚東公園が作られている。団地の東側に広がる鐘ヶ淵・向島地区の木密度地域で火災が発生した際には、これらの住宅棟が防火壁となって、団地より西側への延焼を防ぐ役割を果たす。

 避難時活動場所と指定されている東白鬚公園にでは、平常時はスポーツ等の娯楽活動の場として、災害発生時には約4万人が避難生活を行うことを想定した設計がなされている。また、避難生活時の食料品等についても備蓄棟を設けている他、各住宅棟の屋上および地下に貯水タンクを設けている。

白髭東防災団地

まちあるきの様子


京島地区

墨田区の中でも、京島地区は危険度が極めて高い地域となっており、防災まちづくりへの活動も積極的に行われてきた。この地区が密集市街地となった背景としては、東京大空襲による戦火や関東大震災の被害を免れたことが挙げられ、数多くの木造長屋住宅や複雑に入り組んだ細街路が奇跡的に残存しており、戦前の東京の様相をうかがうことができる魅力に溢れた地区であるとなっている。しかし、老朽木造住宅や狭隘な道路は、建物の倒壊や火災の延焼、救助の妨げといった災害時における様々な危険性を孕んでいる。

 そのため京島では、全面改造型による整備計画の実現性の低さを理由として、建替えの際に少しずつ無理のない範囲でまちづくりを実現させていく修復型まちづくりへと切り替えがなされ、昭和55(1980)年には住民参加方式による防災まちづくり事業が開始した。その事業としては、生活道路や建物、コミュニティ施設に関して計画がなされている。

まちあるきの様子

サマリーティスカッションの様子